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  • 2011.11.05 Saturday
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2011年8月 祝島のお盆

2011年8月 祝島のお盆

盆1

3月の震災後は祝島を訪れる人が多く、島の人たちは正直戸惑っていたようでしたが、
お盆の間はさすがに実家に帰省する親類などが多く、人も多いけど和やかな雰囲気。
皆、今年は帰る人が多いねえ、と言っていました。

盆2

盆3

盆4

盆5

島は暑いですが、夕方になると風が出て過ごしやすかったです。
今年は昨年よりアブが多かった気が。

海では朝からこどもたちが楽しそうに泳いでいました。
もちろん私も!親戚や友人のこどもたちも海で大はしゃぎ!
1歳2歳でも、海につかるとみんな何故か上機嫌になります。

お墓参りは早朝涼しいうちに済ませる人が多く、盆踊りもありました。
途中雨が降っても踊るのやめない人たちも!
盆踊りが終わる、波と風の音だけ聞こえてくる静かな島の夜に戻りました。

盆6

盆7

盆8

盆9

盆10

お盆の間は市場が休みのため、海の漁も少しおやすみ。
島の加工場で茹でダコを販売しました。

イケスからあげたばかりのタコをしめ、内臓を出して、表面のぬめりがとれるまで塩でしっかり揉みます。
タコの表面がキュキュッとしてきたらOK。
3時間くらい延々とタコを揉み続けていると、たまにタコと目があって複雑な気分。
元気なヤツは、かなり時間がたってからも足の吸盤で張り付いてきます。

あとは足が丸まって姿が良くなるよう、キレイに茹でます。

盆13

盆14

盆15

島内放送で茹でダコの販売を宣伝すると、カゴを持ったおばちゃんたちがポツポツと加工場へやってきます。
せっかく帰省した子や孫においしい海の幸を食べさせたいと、「2つ・・いや、足りんかもしれんけえ3つちょうだい!」と、みんなタコを2〜3匹くらい購入。
あっという間に完売しました。

茹でたてのタコはプリンプリンでおいしい!

そのほか、島で食べたもの。

ホゴ(カサゴ)、メバル、エビ、オコゼ、あなご、祝島のもずく、はぜ、鯛、浜本のコロッケ(えべす屋さんで購入)、とか。

15日には、デモの前に祝島から風船を飛ばしました。
風船には、受け取った方へ、島民の会へ連絡してくださいと書かれた紙が付いています。

実は25年前に放射能拡散調査として、田ノ浦や祝島から何度か風船を飛ばしたことがあるのですが、
そのときは四国の徳島県や、高知県沖100キロの太平洋のカツオ釣り漁船からも連絡を頂いたのだそうです。

そして今回、風船300個と風船を膨らますガスを無償で提供してくださった方がいて、もう一度やることになったそうです。
今回はどこで誰が風船を受け取るのか、結果が気になるところですね。

島を出る定期船から見ると、対岸の田ノ浦の工事も今は中断し、静かになっていました。
でも祝島の人たちは、いつまた工事が再開されるかわからない、と不安に思っています。

東京電力の原発事故のあと、「これで中止になるね」言う人も少なくありませんが、上関原子力発電所の建設計画は、まだ白紙撤回されたわけではありませんし、中国電力も中止をするとは言っていません。

新たな署名も始まりました。

さよなら原発1000万人アクション
http://sayonara-nukes.org/

盆11

盆12

2/26(土) 田ノ浦へ行ってきました。

田ノ浦226_11
田ノ浦へ向かったのは26日(土)の午前中、広島の友人7名と、わんこ1匹をつれて。
事前に現地へ連絡して、必要なものがないか確認。
靴下や軍手と水、保存がきく食料やおやつなどを差し入れしてきました。

朝6時半に広島を出て、ゆっくり向かったので到着は9時半位になりましたが、寄り道しなければ2時間ちょっとで着くと思います。(廿日市IC→玖珂IC→高速を降りて柳井を通り上関方面へ)
※行き方はこのサイトの地図のとおり
http://ameblo.jp/enjoy-tanoura/image-10543048883-10555741507.html

道中、工事が本格的に始まった時の為に、中電だけでなく工事に関わってくる企業(重機のリース会社など)の「事務所予定地」という看板があったり、作業員用の簡易宿舎と思われる建物などの工事が進んでいるようです。

途中、ヘルメットをかぶった某警備会社の警備員がいましたが威圧的な態度はありません。
この日の警備員は若い男性で、最近は一般の訪問者も多いせいか、名前などもたずねられませんでした。

駐車スペースは、団結小屋へ向かう山道の手前で車をとめるのですが、かなり狭いです。
道の片側に寄せて駐車しますが、大きい車だと大変かも。
田ノ浦226_1

田ノ浦226_2

田ノ浦226_3
団結小屋に向かうと途中から中電の敷地と隔てるように、道が左右にフェンスで仕切られています。
そこをどんどん歩いていくと、小屋に到着。団結小屋は午前中から訪問客の方がおり、カヤック隊のメンバーが対応されていて忙しそうでした。ここでまき以外のものを差し入れ。トイレもお借りました。
小屋の中ではびわ茶や寒干し大根など祝島の特産品やハガキなどの販売もされているようでした。
田ノ浦226_4

田ノ浦226_5

田ノ浦226_6

田ノ浦226_7
浜に降りてみると男性陣が焚き火をするための薪を準備しているところでした。そこにいる若者たちは、ほんとに普通の若い人という雰囲気。派手でもなく、礼儀正しく明るく、また個人個人の意思で集まってる人ばかりでした。
一緒に行った友人たちも、これにはちょっとびっくりしていました。
田ノ浦226_8
焚き火を準備してる男性に、道中で拾ってきたまきを渡し、磯の方へ行きました。
とにかく天気がよくて、水も澄んでとてもきれい。
ちょうど引き潮で、磯の岩にはびっしり海藻が生えていて、カメノテや瀬戸貝、ニナ、ウニ、イソギンチャクなど、たくさんの生き物がいました。海の中も、緑や茶色の海藻がもっさもさと茂っていて、まるで森のようです。
田ノ浦226_10

田ノ浦226_9

田ノ浦226_12
この日は土曜日ということもあり祝島の方は島で平日できなかった仕事をされているのでしょう、数人いらっしゃるのみで、田ノ浦の海岸には祝島以外の方が多かったようです。田名埠頭のときにも毎日自転車で応援にきてくれていた近くの町に住む元気なおばあちゃんや、祝島出身で近くの市町村に住んでいる方も様子を見に来ていらっしゃいました。

はだしにバレエシューズの若い女性もいましたが、さすがに山道は歩くの大変そうです。
広島からきた大学生の女の子たちは、波打ち際で石を拾ったりしていました。

浜の上では常に会社のロゴの入ったヘルメットをかぶった中電さんの職員が3〜4人、監視員のように浜を見下ろしていて、たまにビデオ撮影もしています。こんにちは、と挨拶しましたがその人には返事はしてもらえませんでした。人によっては話しかけると答えてくれる人もいたのですが、あとで別の職員から注意されてしまったようでそれからはお話できなくなってしまいまいた。
自由に話すこともできず、浜にいる人たちを見下ろして、どんな気持ちなんだろうなあ。となんとも言えない気持ちになります。
田ノ浦226_13
また、定期的にか設備点検をしないといけないようで、桟橋や浜に打ち上げられたオイルフェンスなどをひっくり返したり表面についた砂を払い落として「(オイルフェンスを)壊さないでくださいね」「(そちらの行動は)ビデオで全部撮影してますからね」というようなことを目をあわさずボソボソと言っていました。

この時は海上工事はやってくるようには見えませんでしたが、常に排水口予定地の作業台船が島の影からチラチラと見ました。
また取水口予定地側にも台船が待機している状況です。
陸上の工事はこの日も行われていて、発破を知らせるサイレンの警告音と、発破で崩した土砂を運ぶ音が途切れませんでした。

お昼前、浜にいた男の子たちが、「重大発表があります!」というので、来ていた人たちもなんだなんだと集まってみると、「ここにいる○○くんが、本日○歳の誕生日を迎えました〜!」という発表でした。和やかな雰囲気で、みんなでハッピーバースデイを歌ってお祝いしました。

最近はかなり暖かくなりましたが、それでも海辺なので、少し日影に入ったり風が吹くと寒いです。
また直射日光と海からの照り返しもあるため、何もなくても意外と体力を消耗しました。
カヤックや船に乗っている人も疲れるだろうと思い、現地にいる人たちの体調が心配になります。
田ノ浦226_14

田ノ浦226_15

田ノ浦226_16

田ノ浦226_17
下記、現地からのお願いです。


◆◆田ノ浦現地より◆◆


【田ノ浦に来てください】 

中国電力さん作業員さん警備員さんにくらべ、こちらの人数はすごく少ないです。週末だけ、1日だけでも来ていただけるとありがたいです。
長期間参加している人にも生活があります。仕事をしていない状況が続けば、行動を続けることが難しくなってきます。上関原発に反対する人々が助け合い、「現地での行動は現地の人に任せる」ではなく、「現地に行ける人は行って協力する」ことが出来れば、今の行動が長く続くでしょう。
みんなそれぞれの役割があることわかっています。
それでも少しでも長く活動を続けるための提案です。
自分のこととして検討していただけるとうれしいです。

【気をつけること】

田ノ浦へ来られる方の交通手段や事情もいろいろあると思いますが、毎日夜明け前から動き、夜警もあります。夜遅くの訪問は控えてください。
それから水や食料、宿泊場所などは各自で手配してください。近くの町までもどれば宿泊施設がありますし、浜にテントを張って泊まることもできます。日帰りも手軽でいいですね。

【田ノ浦へのアクセス】

<車の場合>

JR「田布施」駅から現地まで車で約60分(上関大橋からは約30分)
上関大橋からは、四代という集落をめざしてください。
この地図の赤い線の道です。
http://ameblo.jp/enjoy-tanoura/image-10543048883-10555741507.html

※注意事項
四代手前の田ノ浦への分岐地点(両側に海が見える場所)で警備員が立っています。
「どこへ行くのか」と聞かれる場合がありますが「ログハウスへ行く」といって通過してください。
※注意事項2
分岐点から道なりに進むと車が停まっている場所があります。
いちばん奥は回転スペースなので駐車しないようにお願いします。

<公共交通機関を利用の場合>
JR「柳井港」駅下車 目の前の柳井港から定期船に乗ってください。「四代」港まで約1時間 現地田ノ浦海岸までは、徒歩約1時間です。最終便は柳井港まで行かないので注意してください。(JR「柳井」駅からバスを乗り継ぐ方法もありますが、便が少ないので事前にしっかり調べることをおススメします)

【定期船「いわい」】 http://www.iwaishima.jp/home/info/time_table.pdf

上り時刻表        下り時刻表
    1便 2便 3便    1便 2便 3便
祝 島 6:35 12:30 17:00 柳井港 −  9:30 15:30
四 代 6:50 12:45 17:15 室 津 6:00 10:00 16:00
蒲 井 7:00 12:55 17:25 上 関 − 10:05 16:05
上 関 7:10 13:05 17:40 蒲 井 − 10:15 16:15
室 津 7:15 13:10 17:40 四 代 − 10:25 16:25
柳井港 7:45 13:40  −  祝 島 6:28 10:40 16:40

運賃 祝島からの値段
   四代 蒲井 上関 室津 柳井港
大人 530 650 900 900 1530
小人 270 330 450 450  770

【持ち物】
防寒着(ウインドブレーカー、帽子、耳あて、レッグウォーマーなど)長靴、カッパ上下、寝袋、食料、テント、ヘッドライト、独立型充電器(電池で充電できるようなもの)、携帯、その他必要と思うもの。靴もスニーカーやクライミングシューズなど、滑りにくいものをはいて来てください。


☆来る前には知っておきたい現地情報集☆

祝島島民の会blog
http://blog.shimabito.net/

虹のカヤック隊blog
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=nijinokayaker

スナメリチャンネル
http://www.youtube.com/user/hakunamatataTJ

ユーストリウム(生中継・過去の動画も見れます)
満月tv(田ノ浦陸上)
http://www.ustream.tv/channel/

上関-海(田ノ浦海域)
http://www.ustream.tv/channel/kaminoseki-umi

イベント・上関関連最新情報集
[Urauranews]
http://iwaijima.jugem.jp/

QAB朝日放送2/15カヤックで検索すると特集番組が見れます。
http://www.qab.co.jp/news/2011021525873.html

田ノ浦ホームページ
http://ameblo.jp/enjoy-tanoura

【No Nukes Relay】レポート

2009/10/12より本格的にスタートして継続中の【No Nukes Relay(ノーニュークスリレー)】。
当日の様子をレポートしていただいています。

・MELA〜ふしぎの森の村祭@向島洋らんセンター(10/10/3)
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10/3のふしぎの森の村祭り、『バザールへ行こう』、no nukes relay
有り難うございました。音楽を楽しみ、お店も楽しみ、自然を楽しむ事が出来、
事故も無く終える事が出来ました。
皆様に心から、感謝します。

夏が終わり、体育の日が終わる頃までが
秋の一番安定していない、
一週間に2,3,日は雨が降る季節です。
今回も。9/23と同じ展開になりました。
当日朝は100%の降水確率
雨が降るつもりで準備を
万全にしてたものの、
やはり、前日辺りからキャンセンルが相次ぎ相次ぎました。
自然と一体とのeventは
なかなか、です。でも、これでいいんです。


出店の方には、雨でも必ず開催しますのでと連絡!
全店参加
して頂き、色んな店が所狭しと、並びました。

今回は進行全般のため、写真はとれませんでした、文字にて報告です。

100%の降水確率も有りながら、沢山の人が、雨でも見るぞ!!
との意気込みと、出店の皆さんや、出演者の皆さんの
宣伝と呼びかけで、
参加して下さいました。

驚く事に、雨は朝8時から夜8時の間にトータル30分くらい、小雨程度ですみ、
気温も高めで、過ごしやすい洋らんの芝生広場になりました。

ゲストの来日中のBAULの
liveは
とても熱く
厚く
皆を踊らせてくれました。
nonstop2時間、長老の70歳代の方の歌は
素晴らしく、張りが有り、伸び、
感動しました。タブラのしたたる音も最高です。

沢山の平和に対するメーセージも日本語では有りませんでしたが
何故か伝わりました。/
セイカツサーカスさん、keijuさん、山口のskatyさん 、梶高君、永井君、キノコ君、世良君も原発の、上関の、祝島の事を沢山メーセージしてもらい
何かしら、皆の頭に
残った気がします。
(写真展、特産品販売は、売り子が見つからず、無人で展開しましたが、event終了後,店頭に立ち、新作のびわのジャムや、びわのシロップ漬けは人気でした。。。。。。。店にもいくらか在庫しましたので是非!!)

おかげさまで、収益金は祝島の島民の会、虹のカヤック隊や新聞への意見広告への寄付にさせて頂ける事になりました。(約8万円)
<意見広告に関する詳細は下記のN.O.Bさんの日記にhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1595648499&owner_id=15946446
参加店、演奏者、出演者、そして、共催のパサール満月海岸さん、お手伝いスタッフの皆さん
の理解と協力による、賜物です。(経費の削減や謝礼の返上の寄付、、たくさんのチケット販売や声かけなどなど 有り難うございました)
お店の方々には、趣旨を理解頂き、準備も方付けも手際よくして頂き感謝してます。

そして、何よりも、天候不順にも関わらず参加くださった、お客様に感謝します。
有り難うございました。

お礼までに   れいこう堂   信恵

・映画『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会@音楽喫茶ヲルガン座 鎌仲ひとみ×青原さとしトーク採録(10/9/5)
採録その1→http://nonukesrelay.jugem.jp/?eid=119
採録その2→http://nonukesrelay.jugem.jp/?eid=120

・『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会(10/9/5)
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広島市内で初の御披露目となったこの日、2つの会場で計3回の上映がありました。
主催は、『チームミツバチ』。『ミツバチの羽音と地球の回転』を広島市内で上映しようという個人個人が集まった、有志からなる上映委員会です。
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広島市留学生会館での観客数は、2回の上映で274名。
数人ですが託児のスタッフさんもいたためか、お子様連れの方が多かったです。
会場には鎌仲ひとみ監督も駆けつけ、なぜこの作品を撮ったのか、など、熱いトーク。観客席からの発言や質問もたくさん出ました。
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上映後は、展示物をじっくりご覧になったり熱心にアンケートを記入されている方が多かったです。
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夜の部の会場は音楽喫茶ヲルガン座。
こちらではこれまで、『ミツバチ〜』ができるまでの過程のビデオレター『ぶんぶん通信no.1〜3』の上映会が企画され、遂に完成した作品の上映となりました。ヲルガン座の観客数は37名、なかには昼の部から続けてこられた方も。
上映が始まりスクリーンを見つめるお客様の表情を見て、この作品を観てもらえてよかった、となぜだか思いました。
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上映後のトークは、鎌仲監督と映像作家の青原さとしさん。青原さん、実はぶんぶん通信の撮影などにも協力されていてるのですが、完成した作品を観て「ぶんぶん通信とは全く違う作品になっているね」とおっしゃっておられました。ぶんぶん通信を観たことがある方もない方も、必見ですよ!
また、アンケートで多かった声に「知らない事がたくさんあることに気がつかされた」「希望を持てた」などがありました。
2回続けて観られた方も、1回目では気がつかなかった事が2回目で気づいた、とおっしゃっていました。
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電力会社やエネルギー開発をしている方にぜひ観てほしい。
そんな感想もありました。

10/16〜横川シネマでの上映も決まりました。今度は劇場で、ぜひご覧になってください!
そして作品を観た方はぶんぶんぶんぶん、ミツバチみたいに、こんな映画があるよ〜って周りに知らせていただけたら、うれしいです。

2010年7月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年6月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年4月5月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年2月3月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年1月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年12月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年11月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年10月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→

※参加店鋪・団体の皆様へ。イベントレポートや当日の様子が分かる掲載可能なお写真などありましたら、横川シネマ〈cinema-st@mx41.tiki.ne.jp〉までお知らせください。随時ご紹介させていただきます。

鎌仲ひとみ×青原さとしトークショー採録その2(2010/9/5@音楽喫茶ヲルガン座)

鎌仲ひとみ×青原さとしトークショー採録その1→
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鎌中:で、私はこの「ミツバチの羽音と地球の回転」っていう変なタイトルをつけて。よくわからないってアンケートによく書かれたりしてるんですけど…。「アカテガニと地球の回転」でもよかったかな(笑)。だから、ひとつひとつの地球上の生き物の中に埋め込まれている、なんで新月で大潮で潮が満ちてくるのを察知して、体の中にある時計で出てきて、っていうのをやるのかってのは、それは私たち人間の中にも、地球という天体が持つ運行がね、全部実は刻印されていて、春夏秋冬の季節の巡りの中で、いろんな循環が生まれてくることよって、命が生きたり死んだり生きたり死んだり生きたり死んだりを繰り返してきているっていうのを、取り戻すことをしていきたい。単に原発止めるとか、開発を止めるとかってことではなくて、深い命の営みみたいな所に目を向けると、違う(未来の)方向が見えてくるような気がして。すごく分かりにくいタイトルになってるんですけど。

青原:でも、タイトル、最初カッコいいですね…ミツバチの羽音がホントに出てきて。感想を言わせていただくと「すごくおもしろかった」です。「ぶんぶん通信」で3巻観てたんで…ちょっと、どうなるんだろうって心配だったんですけど。やっぱり映画だなというか。映画として纏めるというパワーというかね、鎌中さんの。それを感じられました。「ぶんぶん通信」の時は、単純に最初から報告という意識の元にやられてるんですけど、今回のは感激しました。

鎌仲:おぉ〜。聞いた皆?

青原:例えば、ちょっとした音楽でも。スウェーデンから祝島に戻る時の…神舞をモチーフにしてるんですか?

鎌仲:あれは、神舞の生音をShing02さんに聴かせて、その神楽の太鼓とか笛とかの囃子の音を、彼にアレンジしてもらったんですよ。エネルギーっていうものが、単に電気だけではなくて、祭の中にものすごいエネルギーが込められていて、それは地域、コミュニティっていうか島全体が持っている「人間」のエネルギーっていうものが、あんなに小さいコミュニティでも、島でも、ぎゅっと祭の時にものすごいパワーがね。私は撮影を神舞から始めたので、島の人たちの顔つきが普段と違う訳ですよ。テンパってて。皆、目が釣り上がってるんですよ。船大工の棟梁なんか、だぁ〜っていう感じで走り回っている。皆が祭のためにテンションをあげて、走り回っている。で、スウェーデンから帰ってくる時には、もっとポジティブな「島」のエネルギーというものを、見せたいと思った訳ですよ。島に降り注ぐ太陽…太陽エネルギーというものが、すごくこの島は豊かなんだっていう、それを祭(の音)で表現したいと思ったんですよ。その綿々と続いてきた、一千年以上続いた祭のエネルギーが、島に満ち満ちているというか。だから、音楽をShing02さんに作ってもらったんですけど。

青原:自然の営みというのが、祭もその中にあって築かれたということが、よくわかる。これ、面白いと思ったのは、僕は民俗関係の記録をやってましたけど、いわゆる自然科学の人らがでてくるでしょ、最初。あれがあって、今の文明の中に生きてる人間からすれば、ああいうのがあって祭の農業歴なり漁業歴っていうのが深く飲み込めている。さらに考え込んでしまうんですよ。例えば、上関と祝島の関係っていうか、もっと文化的にも循環してるというか、なにかあったんじゃないか。国東半島からも来ている訳だからね。海の文化の壮大なつながりみたいなものが隠されてしまっている。それすら思わされるという感じがしました…

鎌仲:なるほどね。私は富山県なんですけど。富山県はヒスイが採れるんです。縄文時代に富山県で採れたヒスイが、実は全国に、すでに縄文の時代に回ったりとかしていて。物質が循環していく、人間が介して循環していくということに関して言うと、ものすごいものがあるんですよね。人間は確かに環境破壊しながら生きているものなんだ、だから環境を破壊するのはしょうがないんだ。一方ではそういう意見もあるんだけども。でもそうじゃないやり方っていうのが、根底というか、インフラというか、基盤を破壊しなくでも、利子を取って食べていけるような、そういう循環が昔はあり得た訳で…。

鎌仲:私、バリ島を撮った映画が一番最初の私の作品なんです。バリ島の踊りを踊るおじさんを4年間追っかけて撮ったんですけど。ずっとバリ島ばっか撮ってて、バリ島にずっと居続けたんですけど、ある年、3年目くらいの年に他の島でも行ってみるかなとか思って、隣のロンボク島に舟で行ったんですよ。隣のロンボク島は砂漠のような島で、全然バリ島と違うんですよ。バリ島ってものすごく濃密で湿気でジトジトとしていて、葉っぱも何もかもつやつやしていて、棚田があって、毎日雨が降って、みたいな。ロンボク島から舟に乗って、バリ島に向かってくる時に、ちょうどバリ島にだけ雨が降っていたんです。周りはものすごく奇麗ないい天気なのに、バリ島の周りだけにもやがかかって、そこに天から雨が降りそそいでいたんですよ。そのバリ島の密林というか高い山があるんですけど、森林から霧が噴き上がっていて、島全体が生き物のように呼吸をしているというか、生きてるっていう感じがして。私は初めて祝島を、田ノ浦越しに見た時に、この島も生きてるという風に思ったんですよね。島全体が生き物のようにそこにあるっていうか。その中に人間がいるっていうね。そういう魅力なんですよね。

青原:島って、山と海と全部がコンパクトに揃っている。それに依拠する人間の生活も、森との共存と海との共存と二つ備わってるというか…

鎌仲:その山がすごく海に迫っていたりとか、山と海との距離がすごく短かったりするでしょ?で、ゴッと標高が上がったりとか。そこにすごい多様性が生まれていて。山の中に入ってくと、祝島すごいんですよ。私は祝島の山もすごい好きで。山奥の中に行くと、なんかね静寂があってすごく安らぎますね。とても不思議な島なんですよね。祝島の神秘みたいな感じ?あそこでずっと生きて、あそこで採れるものを食べ続けていると、あの島自身がもっているエネルギーが人間の中にはいっているというか、そんなふうに見えてくるよね。

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青原:あと、スウェーデンが入ることで、日本の行政がいかに貧困かというのが、まざまざと分かりましたね。

鎌仲:でも、行政の貧困さっていうのは、私たちの意識の低さだからね。その、能面のように…私、山口県庁に行ってもね、上関町役場にいっても、皆なんかね、「…」。祝島の人たちが何を言っても「…」って黙っていて。今ここを、コイツたちが来てなんだかんだ言ってるかもしれないけど、1時間もたない2時間もたないと。2時間経って行ってしまったら後はいいんだ、今黙っとけばいいんだ。そんな感じで。昨日、私、東京で、「六ヶ所村通信NO.4」を上映して、イベントやったんですけど、(映画の中で)青森県庁の県の職員が出てきて、陳情を受け付ける訳ですよ。「放射能だします。だけどみなさん、それは薄まって0.002になるんです」と.繰り返す訳ですよ。「そういう風に日本原撚さんが仰って…いや、言ってる訳ですから」なんて言うんですけど。私は、その人たちがこんな風にね、判で押したようにオウムのように繰り返すだけで、仕事だと思っているのかしら、この人たちはと思ってたんですけど。『ミツバチ…』を撮り始めて、山口県庁が、県外の陳情を一切受け付けないっていうのを聞いた時に…私の「六ヶ所村ラプソディ」が出来てから、(青森県庁に)200も300も全国からいろんな有象無象のグループが「やめてください」「やめてください」「やめてください」とね、一日に5件も6件も陳情にやってきて、同じ職員が毎日毎日同じことを。でもホントに実直に青森県の県庁は、ひとつも断らないで、(陳情を)皆受け付けてたんですよ。それに比べてね…山口県庁、(陳情を)まったく受付ないんです。受付さえしないんです。会いもしないんです。「それはもうやってませんから」って。それは、なんていうのかな…山口県の行政は、相当ヘン!ヘンなんですよ。おかしいんですよ、すごく。おかしさが、私もまだきっちりとあの映画の中では描けてないと思うんですけど。おかしさの根本がどこにあるのかっていう事が、相当な課題ですよね。おかしいのはわかるんですよ、なんで祝島の人たちに会わないの?中国電力のいうことだったら直ぐ聞いて(苦笑)、祝島の言うことは聞いてくれないの?そういうことが、現象としては分かるけれども、背後にあるその人たちの生きざまとか有り様とかについては、今回の作品ではあまり突っ込めてないんですよね。今日もね、昼間来てたんですけど、日立に務めていて原子炉格納庫を作っているっていう青年がやってきて質問してくれたんですよ。ようこそ来てくれました、よく質問してくれました、って感じだったんですけど。ひとつの発電方法というのは、長い間に渡って研究してきて、ようやく築きあげた技術だから、そんな簡単に諦める訳にはいかない、みたいなことを言っていて。もう日本では建てれないから海外に売るしかないという会社の方針があるので、会社として生き延びていく為には、それを海外に売っていくしかないんだし。自分としては、会社を辞めるか続けるかって言えば、続けていくしかない、って話をしてたんですけど…。
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(終わり)
鎌仲ひとみ監督『ミツバチの羽音と地球の回転』は、10月に広島市の横川シネマ(082-231-1001)で、11月に尾道市のシネマ尾道(0848-24-8222)で、それぞれ劇場公開が決まっています。横川シネマでは、10/10(日)17:00から鎌仲ひとみ監督を迎えて先行上映&トークショーを開催し、10/16(土)からロードショー公開となります。また、同じ10/16(土)から青原さとし監督が広島市西区井口のお寺と地域を描いた新作ドキュメンタリー『三百七十五年目の春風』も横川シネマにて公開されますので、是非ご覧ください。

鎌仲ひとみ×青原さとしトークショー採録その1(2010/9/5@音楽喫茶ヲルガン座)

9/5(日)に行なわれた『ミツバチの羽音と地球の回転』上映会(主催:チームミツバチ)は、広島県下では初めての上映。昼の部の広島市留学生会館と、夜の部の音楽喫茶ヲルガン座、計3回の上映で300人を越える方々にご覧いただく事ができました。夜の部の上映後に行なわれた、鎌仲ひとみ監督と、広島在住のドキュメンタリー作家で『ミツバチ〜』の撮影にも協力されている青原さとし監督によるトークショーから、一部を採録してご紹介します。
トーク冒頭は、広島在住の青原監督が急遽、撮影に協力する事になった『ミツバチ…』のあるシーンについて。比較的短いシーンにもかかわらず、多くの示唆を含んでいる事がお二人の話から伺え、この映画の内容の濃さを再確認させられます。
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鎌仲ひとみ:よろしくお願いします!「ぶんぶん通信」っていうのを作ってきて、3本作って、青原さんは3本見てくれてるの、かな?

青原さとし:はい

鎌仲:青原さんの撮ってくれたアカテガニが出てくるシーンを、「(ぶんぶん通信の)1」でも使い「2」でも使い本編でも使い…ありがとうございます(笑)

青原:アカテガニのシーンの時、初めて田ノ浦に行ったんですね。その経緯が、もともと用事で京都に行っておりまして、突然、鎌仲さんから電話がかかってきて。あれは(撮影日の)3週間くらい前か…ちょっと田ノ浦に行ってくれないかって。あたしは行かれないって。初めて行ってどうすればいいんだろうと思って。しかも、一応、僕は個人的にカメラは回すんですけど、やっぱり鎌仲監督だからちゃんとしたカメラマンを呼ばないとと思って、急遽、探してですね。山口県でTVの仕事とかやってるカメラマンを、いろんな人の紹介で見つけて、田ノ浦に行ったんです。「長島の自然を守る会」の研究してる調査風景と、アカテガニの産卵シーンを撮ろうというので。田ノ浦、あの現場に行った時に、これがなくなるんだ…あの時ね、埋め立てのことがいよいよ始まるんじゃないか、来年は見れないかもしれないということで行ったもんだから、蟹が出た時は、もう皆感激した訳ですよ。

鎌仲:そうだよね。高島さん(「長島の自然を守る会」の高島美登里代表)なんか、泣いてたもんね。でも、刻一刻と環境も、あれからもう…3年経つんだ。とにかくね、あの短い時期しかあの蟹さん出てこないんですよ。で、あの晩ね、新月だったんですよ。新月の、月がない暗闇の中で、しかも大潮で、敵に捕食されないように、こっそりやってきて卵を産む訳ですよ。ホントにね、ワンチャンスだったんですよ。それで私がどうしても行けない日だったので、泣きついて。それで、どうやって撮ればいいんだ、っていうから、とにかく蟹がカメラ目線になるように撮ってくれ(笑)。

青原:あれ、高島さんもね、すごく苦労して…協力してくれるんですよ。懐中電灯、テカテカ光らせるから、余計映らなくなったりとか(笑)

鎌仲:とにかく、カメラと蟹の目線がパチッと合って、目と目を見合わせるような、そういうカットを撮ってね!ということを頼んで(笑)。でも、ちゃんと撮れてたんですよ。

青原:でも、だいぶ待ったんですよ。産卵するまで…来るには来たんだけど、なかなか産卵しないんですよ。一匹が産卵し始めると連鎖的に、だぁ〜っといろんな蟹が産卵してましたね、あの時。

鎌仲:アカテガニって、「さるかに合戦」の蟹で。日本中に当たり前にいた蟹なんですけど、実はもうホントに激減していて。それもこれも、日本中の海岸線をね、護岸しちゃって、道を通したりドライブウェイを作ったりすることによって…一時期ね、日本を護岸工事というか、道を作り続けた時期は、蟹が山から降りてきて産卵する、それで道に出たら挽かれて死んじゃうっていう。あの時期には、日本中の海岸線の道が真っ赤になるくらいに、アカテガニの死体が…滅びて。田ノ浦は(蟹が)降りてくる道がきちんとこう、砂浜にも続いていたはずだったんですけど…。

青原:あそこにもう、護岸ができてますね、工事用に。

鎌仲:そうそう。高くなっていて、降りてきにくなってるんですよね。それでも降りてきたんだよね。

青原:あそこで寸断されちゃってたから、心配だったんですけど。なんとか降りてきたみたいで。

鎌仲:でも、想像してみると、日本中の海岸で、あの時期に、同じ大潮に、蟹が海岸線で卵を放すっていう営みをずっと続けてきて、その卵が、何十億何百億もの卵が、日本の海岸線でこう放たれて、それを沿岸の小魚が食べたりとかっていう、陸域と海域の生物の命の循環がちゃんとあったんだろうな〜、とあのカットを見ると思うんですよね。

青原:そういうの考えると、この映画観ながら、原発だけじゃない、日本中の開発というか…瀬戸内海も、砂浜が白砂青松じゃないですからね。護岸の、瀬戸大橋とか、あんなものが出来て。あと、前から言われてたことですけど「海砂」。似島が海砂を、昔、5メートルの海深だったのが、掘って掘って掘り尽くして今、海深が50メートルだそうです。で、牡蠣がほとんど採れなくなってきてる。

鎌中:祝島だってね。(映画で)古い写真が出てきた中で、昔の「櫂伝馬船が…」っていうところは、まさしく砂浜なんですよ。今は護岸工事をしてしまってあるので、砂浜はすべて消滅してしまっているんですけど。でも、港の波際ができてるところは、ず〜っと砂浜で。で、秋祭の時は神輿を担いで海の中にジャバッジャバって入っていくような祭をやっていた。祭は、毎年秋祭りがあって、4年に一回神舞があってっていう。その砂浜を護岸工事することで、失ってしまったっていう。だから本当に、全国でそういうことが行なわれてきた訳なんですよね。

〈その2に続きます〉
鎌仲ひとみ×青原さとしトークショー採録その2→
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2010年7月分の【No Nukes Relay】レポート

・祝島のそらとうみをおもう音楽会 タテタカコ×ゴトウイズミ(10/7/23)
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「祝島のそらとうみをおもう音楽会」と題したこのイベント、ロビーでは祝島特産のびわ茶のドリンク販売や、大人気の祝島産ひじきを使った特製のおいなりさんの販売。
びわ茶はすぐ売切れてしまいました。

ゴトウイズミさんはおなじみのアコーディオンに、この日は梶本大輔さん(sax)とMIさん(key)の3人で登場。
バックのスクリーンに祝島の風景を映し出しつつ、さすがの世界観。
イズミさんのお話を聞きながら、歌を聴きながら、物語はすすみます。

休憩はさんで、タテさんの演奏。
イズミさんのリハを見たタテさんが、「わしのときも、あれ、流してください!」ということで、タテさんの演奏の際も何曲か祝島の風景をバックに歌ってくださいました。

客席を見渡すと、ぐっと前のめりになって聞いているひと、座席シートによりかかって聞くひと、劇場後ろで立っているひと、しゃがんで聞くひと、涙してるひと、いろんな方がいました。
みんな、歌っているタテさんをまっすぐ見つめていました。

MCで、出会わせてくれてありがとう、と言ったタテさんにこちらこそありがとう、と伝えたかった。

演奏が終わり、アンコールか?と思いきや、ケーキを持ったイズミさんたちがステージに登場!このライブの次の日(24日)に誕生日を迎えるタテさんへのサプライズなのでした。
タテさん、ステージのそでで「えーーーー!」ってびっくり。

イズミさんのアコーディオンでハッピーバスデーでお祝い。
そんなこともあった、なんだかあったかい会となりました。

ライブ後のロビーでは上関原発建設計画に反対する署名に記入してくださる方のお姿もありました。

・映画『祝の島』 大久保千津奈さん舞台挨拶(10/7/17/18)
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「祝の島」を撮影された大久保千津奈さんが舞台挨拶で来場してくださいました。あいさつは17日の夕方の回の上映後と、18日の朝の上映後の2回。
大久保さんは普段、福岡でテレビ番組の撮影を主にされているカメラマンで、情報番組やスポーツ中継、アーティストのライブ時の撮影、ドキュメンタリー番組の撮影など幅広い経験をお持ちです。

大久保さん、祝島のおばちゃんからはちづちゃん、と呼ばれていました(纐纈監督はあやちゃん、と呼ばれてました)。撮影時は少しも撮り逃がさないよう、真剣な表情でカメラを構え必死だったから、島の人からはあまりしゃべらない人だと思われてると思う、とご本人談。その大久保さんが祝島で「祝の島」完成の挨拶とお披露目上映の際に感極まって涙したときには、あのちづちゃんが泣いている!!と、その場にいた島のおばちゃんたち皆がもらい泣きしたそうです。

上映後の挨拶のあと、質疑応答、というか会場の方とのやりとりの中では、しゃべるのは苦手。。。とおっしゃりながらも撮影時のエピソードから島の日常生活のことなどさまざまな話題が出て、時間いっぱいお話していただきました。
・撮影前は祝島や上関原発計画のことは知ってましたか?
・撮影前と撮影後、祝島への印象はどう変わりましたか?
・島に病院はありますか?介護施設などはあるんですか?
・テレビと今回の映画の撮影方法の違い など。
お客様のなかには実際祝島を訪れたことのある方も結構いらして、自分の住む町では劇場公開の予定がなく、自主上映会をしたいんですが!なんて言ってくださった学生さんもいらっしゃいました。

上映後もロビーでお客様に囲まれて、島のこと、映画のこと、お話は尽きないようでした。

・「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会@柳井市(山口県)(10/7/4)
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アクティブやない、夜の部の上映会に行ってきました。
受付のそばで鎌仲ひとみ監督が来場客をお出迎え。

会場ロビーには、「中電さん、さようなら」の那須圭子さんが撮影された氏本農園(祝島)のかわいい豚さんの写真やカヤック隊が撮影した抗議行動の様子の写真が展示されていました。

また、山口県在住の画家・浴野達宏の作品も展示されていました。祝島や、祝島から眺めた長島・田ノ浦の風景などのパステル画でした。(浴野さんの作品はこちらのブログでいくつか紹介されています。(http://blog.canpan.info/h2oo8iwakuni/category_47
那須さん、浴野さんご本人も会場にいらっしゃっていました。
会場には、写真家の福島菊次郎さん、メディア関係者のほかご家族連れでこられているお客様が多かったように思います。

上映前、鎌仲監督から30分ほどご挨拶。
まず、「ヒバクシャー世界の終わりに」「六ヶ所村ラプソディ」といった作品の後なぜこの作品を作ったのか、テレビというメディアの世界からなぜッドキュメンタリーの世界へ表現の場が移り変わっていったのか、この作品へこめられた思い、など...
どれだけの意志と情熱を持ってこの作品を作り上げたのか、鎌仲監督がこの作品へ込められた熱い思いがビシバシ伝わってくる、そんなトークでした。

上映後、再び監督が登場、質疑応答に答えてくださいました。

質問の内容は、日本のエネルギー政策のことから祝島の日常についてなど様々。
田名埠頭での中国電力の社員とのやりとりの際の映像はとても迫力があったが、あれはどうやって撮影されたのですか、と言った質問もありました。(あれはカヤック隊に頼んで、私もカヤックに乗せてもらって撮ったんです!とのお答えでした。)

また会場外では、監督は書籍やDVDを購入された方ひとりひとりとご挨拶されていました。

鎌仲監督は多くの方にこの作品を観てほしい!とおっしゃっておられましたが、作品を観た私も、監督の思いが詰まったこの作品をたくさんの方に観てほしいと思いました。

2010年6月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年4月5月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年2月3月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年1月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年12月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年11月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年10月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→

2010年6月分の【No Nukes Relay】レポート


・映画『祝の島』公開記念トーク シャリバリ地下大学夜間部横川シネマ校舎「広島から祝島へ」(10/6/25)
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スピーカー:塩出香織(学生)、増田千代子(ボイス・オブ・ヒロシマ) MC:上村崇(ヒロシマ平和映画祭実行委員/シャリバリ地下大学)

・映画『祝の島』公開記念トーク シャリバリ地下大学夜間部横川シネマ校舎「身体へとつなぐ」(10/6/22)
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スピーカー:纐纈あや(「祝の島」監督)、大槻オサム(身体パフォーマー) MC:上村崇(ヒロシマ平和映画祭実行委員/シャリバリ地下大学)、青原さとし(ドキュメンタリー作家)

・映画『祝の島』公開記念トーク シャリバリ地下大学夜間部横川シネマ校舎「海と土をつなぐ」(10/6/20)
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スピーカー:坂本圭子(坂本農園) MC:行友太郎(シャリバリ地下大学学長/ヒロシマ平和映画祭実行委員)、山戸明子(祝島出身、広島在住、派遣社員)

・映画『祝の島』公開記念トーク シャリバリ地下大学夜間部横川シネマ校舎「広島と祝島をつなぐ」(10/6/19)
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右から:行友太郎(シャリバリ地下大学学長/ヒロシマ平和映画祭実行委員)、上村崇(ヒロシマ平和映画祭実行委員/シャリバリ地下大学)、山戸明子(祝島出身、広島在住、派遣社員)、青原さとし(ドキュメンタリー作家)、高島美登里(「長島の自然を守る会」代表)、脇山都(広島市立大学卒業生)、溝口徹(横川シネマ)
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・映画『祝の島』先行上映会@横川シネマ 纐纈あや×二階堂和美トーク採録(10/6/6)
採録その1→http://nonukesrelay.jugem.jp/?eid=109
採録その2→http://nonukesrelay.jugem.jp/?eid=110

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2010年2月3月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2010年1月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年12月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年11月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→
2009年10月分の【No Nukes Relay】レポートはこちらです→

纐纈あや×二階堂和美トークショー採録その2(2010/6/6@横川シネマ!!)

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祝の島先行9

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纐纈あや×二階堂和美トークショー採録その1→

《纐纈あや meets 祝島》
にか:監督にうかがいたかったのは、最初に祝島を撮ろうと思ったきっかけとか、撮って行くうちの気持ちの変化っていうか、そういうの。大変だっただろうなぁっていうのを、察知したんですけれど。

あや:私、祝島に行ったのは七年前に、本橋成一っていう写真家で映画監督の、彼の事務所でスタッフで仕事してまして。私、写真がしたいとか映画を撮りたいとかでは全然なくて、事務スタッフとしてそこに勤務してたんですね。本橋の2作目の映画の「アレクセイと泉」っていう、チェルノブイリ原発事故で被災して、それでもふるさとを捨てたくないって言って住み続けているご老人がいるんですけど、その村の日々の生活を撮ってる映画がありまして。その映画を、下関の女性が、この映画に出てくる老人たちにそっくりな人がいるから、西日本にいるから、そこにこの映画を見せにいきたいって仰ったんですよ。それで、「アレクセイと泉」の映画のフィルムをキャリアに括り着けて、本橋と行ったのが最初なんですね。で、やっぱり私も二階堂さんと同じように、原発反対の島って、ずっと闘っているっていうんで、すごい閉鎖的で、なんか戦々兢々とした世界を勝手にイメージして、行ったんですけど、船を降りたった途端、ああいう映画に出てきた島の人たちが、次々に現れて。皆、声をかけてくれるんですよ。「どこからきたん」「あんた若いねえ」とかなんとか。もうね、その姿をみた瞬間、もう、「うわあ、素敵!」って思ったんですよね。全然違う、私が思ってたのとって。逆にふるさとに帰ってきたような、すごくあったかくて懐かしい気持ちになって。完全に祝島の人にやられたんですよ、私。

にか:うん

あや:だから、その映画をね。祝島の人を撮りたいと思ったのも、色んな経緯があったんですけど。やっぱり報道で撮られている島の人たちの姿っていうのが、私の中にある、大切にしてる島の人たちの姿と、あまりにもギャップがあって。で、報道っていうのは、なにかがあった時のニュース性な訳ですよね。極端に言ってしまえば、事件でなければニュースにならない訳ですから、そういったものを切り取っていくのは当たり前なわけで。でも、そうじゃないんだよ、島の人たちは、っていう事を言いたいって所から、どこか始まったところがあるんですね。だから、私が好きだと思うもの、面白いと思うもの、興味があるものに、カメラを向けるっていう風に、島の中でそれは決めていて。だから、原発問題っていう事を取り上げる、っていうことだったら、全然違う撮り方になったと思うんですけど、原発問題を説明したいということでは全然なかったので、今日見ていただいたものは、私が好きだとか、面白いとか、楽しいと…もしくは、すごく悔しかったり、悲しかったりっていう、ホントに自分が大切だと思う所だけを抜き出した、というそんな感じのものになっています。

にか:そうですね。その、私もやられた方の口なんですけど…知り合いになっちゃったんですよね。なんていうか、知り合いのおばちゃんっていうか、親戚のおばちゃんになってしまって。あのおばちゃんたちが、こんだけやってるんだったら、ちょっとほっとけないみたいな。

あや:ホントにね。私、祝島にもうずっと二年間通い続けて、なんかもう祝島に帰るってのは、すごく大きな親戚の家に帰るみたいな。あの祝島全体が、親戚の人たちがうじゃうじゃいる、そこに帰ってく、みたいな、感覚があります。

にか:本来は、多分、日本のいろんな所にもあった形なんだろうな。私も家がお寺だし、どっちかというと高齢の方と接する機会が多くて、私も90過ぎたおばあちゃんと一緒に住んでたりするんで、馴染んでるつもりだったんですけど、半端じゃなかったというか(笑)。同じように、年を重ねて、時代を重ねて来られた中でも、また特別、自給自足というか、そういう生活の中で見えてくる強さというか…そういう事なのかなぁ、って。

あや:なんかね。島にいると、なにを食べて、なんのために仕事して、何と繋がってて、なにが嬉しくて悲しくて悔しくてっていうのが、ホントによく見えるんですよね。なんかこう、海と山とそのものに繋がってるという感覚とか、お隣さん、島の人たちと繋がってるとか。あとは…過去から現在未来と時間が繋がっているとか、そういう繋がりみたいなものをすごく感じられると思ったんです、私は。で、東京生まれ東京育ちなので、だから余計、そういった事にものすごい感動したんだと思うんだけど。そういうつながりがある、つながっている、自分がそのつながりの中にあるっていうことを、実感しながら生きることが、これだけ幸せな事かって思ったんですね、島にいる間。だから撮影は、私の場合は口実みたいなところがあって(笑)。祝島にいられるのが嬉しい、そういった中での撮影だった感じですね。


《『祝の島』の、印象深いシーンのこと ※映画をご覧いただいて読んでいただけると嬉しいです

にか:いろんな魅力的な、生活だったり、景色だったり、もちろん人…を撮ってく。撮りたかったから撮っているんだろうな、みたいなのを事を勝手に。私も音楽をやっているので、どうしても作る側の感覚にひゅって入っちゃうんですけど。冒頭は、原発の反対運動の一環で始まるじゃないですか。あれは実は結構意外だったんですけど、私はもっと人間の方に迫っていって、そこからいくのかなと思ってたんですけど、あれは最初から…

あや:いや、全然違ってましたね。絶対島の人たちのああいう姿から、物語を始めるのは嫌だって思ってたんです。色々制作スタッフからも意見が出まして、私は抵抗していたんですが…。色々考えていった時に、まず、私の中にも原発反対の島という事が情報としてあって、そこから祝島の人たちと出会ったので、その順序を踏んでいくっていうのは、ひとつ、島の人たちとの出会いの過程で、そういう道筋があってもいいのかなと…思って、受け入れた。そんな感じですね。あの抗議行動の島の人たちの姿とか、推進派のおじさんと祝島のおばさんが言い合ってる、ああいう言い合いから入っていくというのは、ひとつの入り方だな、という感じ。

にか:纐纈さん、今日お話するまで、一言二事くらいしかお話できなかったけれども、なんとなく、すごくそれが意外だったので。でも逆に、決意みたいなものを感じたんですけど。別にその事を伝えようというような、責任感というよりは、自分の出逢った順序に忠実に…

あや:そうですね。自分の中で変化していった、島の人たちの見える姿が変化していった…みたいな事、ですね。

あっこ:さっき、祝島にいる時は、人とのつながリだったり、空と海と繋がってる感覚だとか、過去現在未来つながってる感覚をすごい感じるって仰ってたじゃないですか。例えば…

あや:例えばもう、日々の暮らしがね、まず海にいって魚を釣って、山にいって畑耕して、採れたものを食べて、っていう当たり前の事がありますよね。で、生活の場でこの海があって、生活の場で山がある、と。その中で、自然というものに人間が養われているというか、そのものを食べているという事が、まずすごく大きく大前提としてあるという事と。あとは、過去現在未来というつながりは、何で見られるかっていうと、すごく感じるんですけども…ひとつはですね、私はそれを視覚化できるものが、あの平さんの棚田だと思っていて。私、棚田に初めて行った時に、ホントにすごい棚田なんですよ、皆さん、見た方もいらっしゃるかも知れないですけど、天空にこう…そびえる城のような、ホントそんな感じがして。私、その前に立った時に、あの石垣って、私の身長以上もある、1トン以上もあるような岩をごろごろ積み上げられてるんですね。あれを30年間かけて積み上げたって、その30年間で、積みおろして、上から積みおろして、あの1段がだいたい9メートル位ですね、それが4段半かな、あるんですけど。それって、あの石垣そのものが、30年それ以上の時間の積み重ねみたいな感じで、その目の前にした時に、なんかね、タイムトリップしたような気がしたんですよ。で、あの石垣が特にそういう象徴的なもの、私自身がそう感じを受けたんだけれども。そういうことがたくさんあって。

あや:もうひとつすごく思ったのは、インタビューを、今まで撮影させていただいてた方たち皆それぞれに、最後の最後で話を聞きに行ったんですね。その最後の人の話を聞き終わって、使ったのはごくごく一部なんですけど、本当に心にずしんとくる言葉がたくさんあって、それを何度も何度もこう思い返していた時に、全員の人が、すごく共通してる事を言ってるって気がついたんです。それは、すでに亡くなっている方、この世にはいない人たちの事を思って、その人の思いとか願いとか、そういったものを大切に胸にしまっている。もうひとつ、今この世にいない、まだ目に見えない、先の命の事を考えている。その上で自分がなにを今選ぼうとしているかって事を考えているという事が、皆さん共通してたんですね。今いる島の人たちっていうのは、過去から現在の自分があって、先代の先代の先代がずっと暮らしてきたのを引き継いでいて、それを引き継いでいきたいと思っている。島の人たちの存在そのものが、繋がっているという事の中にいる、っていう。その事を感じて。祝島の人たちの存在そのものが「つながり」なのかもしれないですね。

にか:私もたいがい田舎の方だし、今日来られている皆さんは、方言とかもね、比較的理解しやすいかもしれないけど、遠くの方になったら、どのくらい分かっているんだろうって、ちょっと心配もあるんだけど。

あや:もう全然ね、分からないって方もいらして、ツアー最初に完成した時、まったく字幕入れてなかったんですね。皆さん、とってもよかったって仰ってくださる方が多かったんだけども、言葉が判らなかったっていう事が多く寄せられて。ずっと引き込まれて見たい聞きたいって思ってる時に分からないってすごいフラストレーションになる。そういうのを感じて。でも、字幕って入れるのはラインマーカー引くような…日本語にね、字幕を入れるというのは。だから、全部入れるか全部取るかみたいな、そんな事を思ってたんですけど。そういう風なご意見をいただいて、お年寄りの部分だけ入れるっていう風に、今はしてるんです。

にか:私、ドキュメンタリーを少しだけ撮ってもらったことがあるんですけど、大体ツアーだけって限定された時は、まだいいんですけど、そうじゃない時には、監督さんの方で最初から意思があるんですよね。まだ喋らせるっていう事は、まだ欲しい言葉が撮れてないんだな、みたいな(笑)。

あや:インタビューを最後の最後までしなかったというのは、インタビュー、私、すごい苦手で。というのは、自然に話を聞きたいと思っても、絶対にキャッチな言葉とか面白いエピソードとか求めちゃうじゃないですか。結局そういう事を求める自分が嫌だ、っていうので、インタビューを禁じ手として、そんな風にこだわってしまっていた部分があって。(撮影中は)なによりも空気のような存在になりたいって、すごい思っていたんですね。できる事なら自分の存在を消してしまいたいくらいまで。でも途中で、ありのままの姿ってあり得ないなと思ったんですよ。その空間には私もカメラマンもカメラもあって、撮ろうとしている私たちの存在があって、それを含めての空間となった時点で、変わっている、と。ありのままはない。その時に、空気のような存在に、自分の存在を消すんじゃなくて、そういうふうなものを撮ろうとして、その意思で今自分がここにあると、キチンと自分でここにそれであるんだって事を認められると、相手が相手としてキチンとそこにあるという事になるんだなと、ふと気が付いた時があって。そうするとね、不思議にいろんな事が起きるようになったんですよね、撮影中に。カメラを回しはじめると。それがすごく不思議でしたね。…そうそうそう、そうするとね、島の人がね、こういうこともやろうかって(笑)。共同制作なんだな。ドキュメンタリーはそうなんだな。劇映画とドキュメンタリーって、何が境か分からないっていうような感覚を覚えた事がありました。

にか:ちなみに、紅白を見ているシーンは。私は特に好きなシーンだったですけど、あれは置きカメラ?

あや:いやいや、あれは反対側に三人うしろに。伊藤のおばちゃんの家でね。私、撮影がない時も夜には時間があると、あそこいってお茶飲んでて。コーヒーを飲んで、ゴロゴロして。伊藤のおばちゃん家が一番熟睡できるんですね。いるのがいつもと同じみたいな。まぁカメラはあるけど、って。疲れるとあそこにいって寝て。ふふ。ホントに居心地がいいんですよ。なんかね。あの茶の間でニュースでね、老人介護のニュースが流れて、デイサービスがどうちゃらこうちゃらってなった時に、伊藤のおばちゃんが「わしら毎日デイサービスじゃ」って言って(笑)

にか:自主デイサービス(笑)。ほんとですね。あれはびっくりしましたね。

あや:伊藤のおばちゃん家も、13人くらいかな。こたつに入り切らないくらい集まってたらしいですよ。ああいう場所がね、いくつもあったんだよね。今は、そんなに無くなってるみたいだけど…。

《最後も、たみちゃんの話題で…》
にか:たみちゃん、今後どのくらい有名になっちゃうんでしょうね。

あや:たみちゃんのね…孫がこの間ね、すごい真面目な顔してこういうんよって言って。「たみちゃんはね、男なの?女なの?」って、ばあちゃんに向かって言ったって(笑)。

にか:実は、美人ですよね。

あや:たみちゃんは、ものすごい野性的勘が鋭くて、大のカメラ嫌いなんですよ。ものすごい遠くからカメラを回してても、自分に向けられてると分かると、さっと背中を向ける。私は、たみちゃんがいいないいなと最初から思ってて、じりりじりりと間合いを詰めて(笑)。最後、たみちゃんがカメラに向かって話してくれるのも、あれもホント報道の方たちが見た時に驚いて感想言ってたの、「たみちゃんがあんな事言ってましたね!」って。あの後、鳥が二羽、電信柱にいるんですけど、私、あれ「そうだ!そうだ!」って意味合いのつもりも込めて入れてたんです。けど、祝島ではあのカット、大爆笑で、「たみこがあんな普段言わないこと言うから、鳥も笑ってる」って。たみちゃん、でも、まんざらでもなさそうでしたけどね、上映会で(笑)。

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映画『祝の島』 http://www.hourinoshima.com/
纐纈あや監督 http://holynoshima.blog60.fc2.com/
二階堂和美さん http://www.nikaidokazumi.net/

纐纈あや×二階堂和美トークショー採録その1(2010/6/6@横川シネマ!!)

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6/19(土)より、東京・ポレポレ東中野と広島・横川シネマで劇場公開されるドキュメンタリー映画『祝の島』(以降、大阪・第七藝術劇場、京都シネマ、名古屋シネマスコーレ、神戸アートビレッジセンター他、全国順次公開予定)の、お披露目となる《瀬戸内海巡回ツアー》が行われ、ツアー最終日となる6/6(日)横川シネマでの上映では、纐纈あや監督と広島在住の歌手・二階堂和美さんによるトークショーが開催されました。
進行役を務めた祝島出身の山戸明子さんを交えた3人のトークショーの模様を、ご紹介します。

映画『祝の島』 http://www.hourinoshima.com/
纐纈あや監督 http://holynoshima.blog60.fc2.com/
二階堂和美さん http://www.nikaidokazumi.net/
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《まずは、自己紹介から》
纐纈あや監督(以下、あや):纐纈あやです。今日はこんなたくさんの方に集まっていただいて本当に嬉しく思います。ありがとうございます。この映画ですね、4月26日に完成しまして。東京で、チェルノブイリ原発事故の日なんですが、それに合わせて東京で完成披露試写会をしまして、その翌日からですね、瀬戸内海ツアーというのに出まして、祝島から始まって、第一弾が山口県内。そして、第2弾が今回になるんですが、九州・大分から始まって、岡山、尾道、しまなみ海道、昨日が松山で、今日こちらが最終日ということで、これだけの方に、ラッシュ上映の時もここでさせていただいたんですが、完成したのを見ていただけて本当に嬉しく思っております。ありがとうございます。

二階堂和美さん(以下、にか):二階堂和美です。私は、シンガーソングライターともいわれますが、主に歌手なので、歌手といってますけども。広島に今、実家が大竹というところなんですけども、6年くらい前に地元に戻ってきて、ここを中心にして、色んなところにライブに行ったりして活動しております。

《二階堂和美 meets 祝島》
にか:色々こう周りの中で、音楽をやっていろんな他の地方に行ったりして。祝島の名前を聞くようになってたんですね、この3年くらいの事ですけど。そこから、ずっと気になっていて…近くを見れば、近い人たちも、原子力発電所の反対の気持ちで何か動いているのが、すごく身近なところにも出てきたので。私もちょっと、本気で関わる時期が来た、タイミングか来た!と思って、こう足を踏み入れていると、どぼどぼっと、こう…面白い世界に(笑)、連れて行ってもらっちゃってるんですけど。

あや:祝島に行ったんですよね

にか:そうなんです。何から話していいのか、分からないんですけど…去年の11月かな。【No Nukes Relay】は、ひとつのきっかけだったんですけど、たくさんきっかけがあって。例えば、和歌山のライブをしに行ったお店に祝島の事を書いているリーフレットがあったり、松山のアースデイのイベントで原発の事、瀬戸内の事、祝島の名前がでてきたり。そもそも私は、山口の大学生の頃に…絵画をちょっとやってたところに、絵画の合宿で祝島に行ってたんですね。学校の絵画の先生が、あそこの練り塀が面白いから、いまだに橋が架かってない、貴重なものが残ってる島だからっていうんで、20代の頃にキャンバスと油絵の具を持って、4、5日滞在させてもらってた。それで祝島っていうのは、実際に絵にも描いたりしているし、そのために歩き回ってて愛着があったんですよね。その祝島が、全然違う…原発とか、そういうのを聞くようになって、あれ?なんで関わってるんだっけ?位の感じで、全然知らなかったんですけど。そのうちに横川シネマとかれいこう堂さんとかヲルガン座とか、皆さんが【No Nukes Relay】ってのを始めたっていって。あ、近いところに、来たと思って。外側から知っていたものが、すごい近づいてきて。あっこちゃん、と呼ばせてもらいますけど、その祝島の出身だということで…色んなことがあったんです。その中で、去年の秋にNHKのテレビ番組で、ふるさと発なんとやらっていう30分の番組で、ちょうど今日も登場していた正本さんご夫妻とか、反対派・推進派で揺れる人々みたいなテーマの30分の番組を見て、すごく心打たれてしまって。あの正本笑子さんが「島にもう引き裂かれて、楽しみっちゅう事が無くなった」とか言ってたので…え、じゃあ、ちょっと私、美空ひばりでも歌いにいこうかな、と思って。なんか、楽しみ…なんかないかなって思って。おこがましいんですけど。懐メロ歌いに行きたい、みたいなことを、ここ(横川シネマ)のカウンターで、ここの支配人さんにポロッとこぼしたら、もう次の週の月曜日には、さっきの(映画に出てきた)公民館でライブがセッティングされていてですね…え?早い?と思って(笑)。ホントに来週じゃあ行こうみたいなって事で。エイエイオ〜!ってやってたあの月曜日なんですけど、あの集会を毎週やっている、その日一番皆が集まりやすいからという事で、島に行かせてもらったんですけど…
さきほどの映画の中にね。歌われてた男性(趙博さん)が…ああいう状態ですよ、ホントに。

あや:(祝島の)たみちゃんとゆみちゃんって二人。ものすごい歌好きで芸人魂のある二人なんで…二階堂さんのライブに、ものすごい乱入したんですよね?

にか:そうなの。全然、あっこちゃんが教えてくれなかったんですね、そんなキャラの強い人がいるっていうことを。全く何もしらされずに、まぁまぁここでやって、って。私がじゃあ登場するっていう時に、たみちゃんが、後ろから「あ、早く、いっていって」ってみたいに言って。なんの事か分からないけど行ったら私、すごい声援を受けたんです。ワハハハハハ!っていって。で、ものすごい受けてると思ったら、後ろからそのおばちゃんがついてきてるだけの話で(笑)。その時はまだ仮装はしてなかったんですけど。

あや:ふふ

にか:それで異様な盛り上がりで迎えられて。何曲かやってるうちに、会場からゆみちゃんて、仮装してない方のおばちゃんですけど…なんか、私が「買い物ブギ」を唄ってたんです。「買い物ブギ」っていったら、お魚の名前がぶわぁ〜って早口で言う曲なんですけれども、それに、ゆみちゃんが今日捕れたネタとかをぶわぁ〜っと即興でラップし始めたりとかして。それで、うわぁ!?と思って。どう絡んでいいんやろと思いながら…。でまぁ、しばらくして、もうちょっと調子のって歌って、ここ感動シーンかなと思って「愛燦々と…」とかってやってたら、今度は仮装したたみちゃんが、向こうから淡谷のりこみたいな格好で出てきて。スパンコール着けて。もう、どう絡んでいいのか???ホントに、男性か女性かも判らないし、さっきの人とこの人が同じ人なのかも判らないし…どう絡んでいいのか。島の人なのかそれともカヤック隊の方の人なのか、なんなんだか???全然判らない状態だったんですけど(笑)
にか5

あや:その(ライブの)後に、祝島にね、行ったんですよ。そしたらね、もう、その話で持ち切りなんだ!皆が嬉しそうに、本当に楽しかった楽しかったって言って。もう、あれだけ笑ったのは、ホントに久しぶり…皆、基本的によく笑うんだけども、あれだけおかしかったのは近年稀にみるって言って。

にか:光栄です!

あや:島の人たちの心をがっちり掴んでっていうのはね、素晴らしいと思います。

にか:でも、全然私の歌なんか聞いてないんですよ、あの人たちは(笑)

あや:いやいやいやそんなことないそんなことない(笑)。5月の連休に、瀬戸内ツアーの一環で回っていた時に、祝島に戻って、その時に二階堂さんがまた来て下さって。今度は、黒田征太郎さんが祝島に応援にいきたいと仰っていただいて、ライブペインティングで応援旗を描いてくださると言うことで。ちょうど二階堂さんが来てくださってたので、即興でね、そこでまたね、芸人として、こう歌っていただいて…。

にか:あれはもう、この映画が先行上映が島であるのを聞き付けて。ただ見に行っただけなんですけど、今日は歌わんのんか今日は歌わんのんかってね。ただ乱入したいだけみたいなかんじで、きっかけが欲しいって(笑)。映画に収録していただけなかったのが残念。

あや:いや、ホントに!ホントに!でね、実はね、たみちゃんはもうすっかりあの二階堂さんのライブで味を占めてたんですよ。

にか:あ、そういう事なんですね(笑)。私、毎回やってんだ、あんなことと思って。

あや:いや、違うんです。これはイケると。前もやってた事はあるらしいんですけど…あそこまでイキイキ出来たことはなかったんだと思うんですね。あの後、パギやん(趙博さん)のコンサートっていうのがあって、色々仕込んでたみたいなんですけど。ま、あの時は、色々な雰囲気もあって、すごく引き際よく、さ〜っと去って行ったんですね。

にか:ぶぅぅぅぅ〜んって(笑)。だからホントに、私、どれだけ島の方々がしんみりしているのかと思ったら、そんなだったので…なんか、拍子抜け半分、あ、こういうエネルギーがある人たちだったから反対運動を続けて来られたんだなぁっていうのがすごく印象深くて。今日の映画、祝島で見たんですけど、見せてもらって、そのエネルギーの源っていうのが、こういう事なんだなぁっていうのが。生活の、あまりにもシンプルな生活、ここにあるんだなぁっていうのが、ありましたね。


《『祝の島』を観て感じたこと》

にか:どうですか?島の出身のお嬢さんから見ると、あの生活はどんな感じなんでしょう?

あっこ:そうですね。私にとっては、生まれ育った環境が今日出た映像そのものなので、まずこう懐かしいなっていう気持ちが第一にあって。映像だけじゃなくて、聴こえてくる音だとか、全部こう、目に入ったり耳に入った瞬間にもうなんか、あぁ懐かしいなって思った瞬間に涙がぶわっと出てきそうな感じ…ですね。
祝島でも4月の29日に拝見させていただいて、今日2回目なんですけど。見てすぐはやっぱりちょっと感想を一言で、自分がどういう感想を思ったのかってなかなか出てこなくて、ずうっともやもやした感じがあったんですけど、まだうまくは言えないですけど、自分の気持ちを言い表わすのに一番近い言葉は監督にありがとうと言いたいような気持ちになったんですね。
祝島の事をご存じの方もご存じじゃない方も今日はいらっしゃると思うんですけど、山口県では、ホントにあの…ずっとこう、ニュースとかの時間帯だったら原発に反対してる人たちみたいな感じの取り上げられ方をしていて、映像もやっぱり抗議行動している映像しか映さないし、逆に、まぁきれいな所なので、テレビ番組だとかだったら景色がきれいな所、魚がいっぱい釣れる所、原発の話がいっさい出て来ない話っていう、すごい極端な取り上げられ方が多くて、そこに住んでる自分の中で、すごい矛盾というか、それが受け入れられないというか、捉えられ方がすごい嫌だったんですけど、そういうものを全部飲み込んで受け止めて撮ってくれてる。私が勝手に思っているだけなんですけど、すごい嬉しいなって思いました。

にか:ホントに、もやもやするっていうのは、内輪の人間では全然ないから違うけれども、そういう感覚ありましたね。一言では全然言えなくて。なんかものすごいたくさんの要素が盛り込まれている…家族の8ミリ映像とかを見ているような気分もあるし、語りの方が入ると取材モノのようなところも感じたり。あと、例えば平さんの畑のそばの納屋かな、「きれいじゃな…」なんか言って逆光ぎみに後ろの新緑が写って、その映像だけで、なんていうか「あぁ、映画!」っていうか、言葉が陳腐で恥ずかしいんですけど、その芝居というか、役者さんのような…素人離れしたっていうか、そんな趣もあったり。色んなものが、ぶあぁってあって。

あや:ありがとうございます。あっこちゃんの感想…。実は、お二人の感想を言ってくださいって、私、強要したんです。ちょっと言わせた感があるんですが、とっても嬉しいです。

祝の島先行5

祝の島先行6
(続く)

纐纈あや×二階堂和美トークショー採録その2→

2010年4月5月分の【No Nukes Relay】レポート

・黒田征太郎さん、「祝の島」の旗を描く(2010/5/5)
http://www.youtube.com/watch?v=5hxKIGOagq8

・GW中の祝島の様子を報告します。
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GW前半は風が強く、帰りの定期船も結構揺れる。
船の中は帰省客や釣り客でいっぱい。

ひじきやてんぐさ・わかめなどを干すお手伝い。
この日は滋賀からのお客様も一緒に。
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写真に写ってる白っぽいのがてんぐさ。
煮て固めたら寒天になります。

ひじきは干す前にしっかり柔らかく炊いています。

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海は静かで、子どもたちが波戸の中駆け回って遊んでいます。
たくさん帰ってくる親戚のお世話で島のおばちゃんたちは大忙し!!

氏本農園では連休前に生まれた子豚に会いました。

4/29の夜には、島の公民館で映画「祝の島」上映会が。
監督の纐纈あやさんは、上映が始まるまでドキドキ、こわばった顔から緊張感が観ているこちらまで伝わってきます。

楽しみで仕方がない様子の島の人や帰省客はぞくぞくと公民館の2階に集まり、公民館の入口は観客の靴でいっぱい!
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上映前に纐纈監督からのご挨拶のあと、本編の上映。
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笑って泣いて、想像通りガヤガヤワイワイとした上映会でした。
出演(?)されているご本人も会場で観ているため、まわりのおばちゃんたちから冷やかされる冷やかされる。

「あんたあよくうつっちょる」
「うら!あがいなとこをうつしちょったんじゃね!でんでんきがつかあだった!」

上映後は拍手が鳴り続け、皆笑顔だったのが印象的でした。
泣き笑いになってる人も。

そして、この映画の製作に関わった3人の女性が皆さんへ挨拶。

製作デスクの中植さん、カメラマンの大久保さん、監督の纐纈さん。
監督は、大久保さんが挨拶する後ろですでに涙があふれそうになっていて。
ゆみちゃんに、「泣くな!」とたけられて(叫ばれて)いました。

監督がおっしゃるに、この映画は「島の人へのラブレター」。
それがしみじみ伝わってくる作品でした。

監督たちスタッフさんと、映画にも出てる正本さん夫妻。
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公民館の入口には鎌仲ひとみ監督の映画「ミツバチの羽音と地球の回転」のポスターも貼ってます。
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ねこも眠くなるような陽気。
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連休中は田ノ浦も静かでした。
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おわり。

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